ピザ・マルゲリータの由来と歴史|イタリア王妃が愛した一枚の真実

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ピザ・マルゲリータとは、トマトソース、モッツァレラチーズ、バジルの三つの食材で構成されるナポリ発祥のピザであり、その名前は19世紀イタリアのマルゲリータ王妃に由来するとされています。赤・白・緑のイタリア国旗と同じ三色が特徴的なこの一枚には、古代から続くピザの歴史、イタリア統一の激動、そして一人の職人と王妃の出会いという壮大な物語が詰まっています。この記事では、ピザ・マルゲリータの由来と歴史をイタリア王妃の人物像とともに詳しく解説し、ナポリピッツァがユネスコ無形文化遺産に登録されるまでの歩みや、世界中に広まった経緯、さらには「本物のマルゲリータ」を守る取り組みまで、その全貌をお伝えします。

目次

ピザの歴史は古代メソポタミアから始まった

ピザの原型は、人類の文明とともに誕生したといえるほど古い歴史を持っています。小麦粉を水で溶いて平らに伸ばし、熱した石や窯で焼くという調理法は、古代メソポタミアやエジプトの時代にすでに確認されています。当時のパン職人たちは発酵によって生地を膨らませる技術を発見し、この手法はやがて地中海全域へと広がっていきました。

古代ローマでも、パン生地の上にオリーブオイルやハーブ、チーズなどをのせて焼いた料理が日常的に食べられていました。「ピンサ(pinsa)」と呼ばれたこのフラットブレッドは、現代のピザの直接的な祖先のひとつです。ラテン語の文献に「ピザ(pizza)」という言葉が初めて登場したのは997年のことで、南イタリアで記録されたこの文献がもっとも古い文献的証拠として残っています。

中世に入るとイタリア半島各地でフラットブレッドにさまざまな食材をのせた料理が広まりましたが、今日のピザに不可欠なトマトはまだヨーロッパに存在していませんでした。トマトが旧大陸に伝わったのは、スペイン人が16世紀に南米大陸を征服した後のことです。しかし当初、ヨーロッパではトマトは「有毒な植物」として警戒され、長い間観賞用にとどまっていました。

トマトとモッツァレラの出会いがナポリで革命を起こした

トマトが食用として一般の料理に取り入れられ始めたのは17世紀から18世紀にかけてのことです。当時スペイン領だったナポリでは、貧しい民衆がトマトを積極的に活用するようになりました。トマトは安価で栄養価が高く、乾燥したパン生地の上にのせて焼けば手軽な食事になるため、ナポリの街頭で庶民の日常食として急速に定着していきました。

同じ時期、ナポリ近郊では水牛の乳を原料とするモッツァレラチーズの製造技術も発達していました。なめらかな食感と豊かなミルクの風味を持つモッツァレラは、加熱すると美しく溶けてとろりとした層を作り出します。トマトの酸味とモッツァレラの濃厚な味わいが絶妙に合うことを、ナポリの人々はいち早く発見しました。

こうしてトマトとモッツァレラの組み合わせがナポリの路地裏で育まれ、やがて専門の職人「ピッツァイオーロ(pizzaiolo)」が登場します。彼らは薪窯の前で生地を高温で素早く焼き上げる技術を磨き上げ、特有の焦げ目と弾力のある生地を生み出していきました。記録に残るナポリ最古のピッツェリア(ピザ専門店)は1830年創業の「ブランディ(Brandi)」とされており、この店がのちにマルゲリータ誕生の舞台となります。

マルゲリータ王妃とはどのような人物だったのか

ピザ・マルゲリータの名前の由来となったイタリア王妃マルゲリータは、イタリア統一の激動期を生きた王族です。本名はマルゲリータ・マリーア・テレーザ・ジョヴァンナ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァといい、1851年11月20日にトリノで誕生しました。

父はジェノヴァ公フェルディナンド・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ、母はザクセン王女エリーザベッタ・ディ・サッソニアです。マルゲリータが属するサヴォイア家は、イタリア北部ピエモンテ地方に君臨した名門であり、イタリア統一運動(リソルジメント)を牽引して統一イタリアの王家となった家系です。マルゲリータの伯父にあたるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、リソルジメントの英雄として1861年に統一イタリア初代国王に即位しました。

1868年4月21日、17歳のマルゲリータは従兄である24歳のウンベルト王太子と結婚しました。当時の王族間の近親婚は珍しくなく、この婚姻はサヴォイア家内部で王統を固めるための政治的な意図のもとに進められたものでした。結婚後、マルゲリータは1869年にのちのイタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世を出産しています。

1878年1月に伯父ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が崩御すると、夫ウンベルト1世がイタリア王位を継承し、マルゲリータは正式にイタリア王妃となりました。王妃としてのマルゲリータは芸術と文化の保護者として広く知られ、詩人や音楽家のパトロンを務め、文学、音楽、絵画に深い関心を寄せました。慈善活動にも熱心で、特に1884年のナポリのコレラ禍の際に王室として援助を行ったことで、南イタリアの庶民からも深く慕われるようになりました。この民衆からの厚い人気が、1889年のナポリ訪問の重要な背景のひとつとなっています。

1889年6月ナポリで起きたピザ・マルゲリータ誕生の物語

1889年6月、ウンベルト1世とマルゲリータ王妃はナポリ近郊のカポディモンテ宮殿に滞在していました。ナポリは前年のコレラの流行からまだ完全には回復しておらず、王室の訪問には民衆を励ますという意味も込められていました。

宮廷の食事に飽きたともいわれる王妃マルゲリータが、ナポリの庶民が食べるピッツァを味わってみたいと望んだことが、のちに語り継がれる逸話の始まりです。宮廷の人々は、ナポリで最も名高いピッツァ職人として知られていたラッファエーレ・エスポージトと、その妻ローザ・ブランカルドを宮殿へ招きました。エスポージトはブランディという店を経営しており、当時ナポリで屈指の職人のひとりとして高い評判を得ていた人物です。

エスポージトは王妃のために三種類のピッツァを焼いて献上しました。一つ目はラードにチーズとバジルをのせたもの、二つ目はアンチョビやカラスミなどの魚介類を使ったもの、そして三つ目がトマトソースを塗り、モッツァレラチーズを散らし、新鮮なバジルの葉を飾ったものでした。

王妃がもっとも気に入ったのは、この三つ目のピッツァだったとされています。赤いトマトソース、白いモッツァレラ、緑のバジルという色の組み合わせが、イタリアの国旗(トリコロール)と同じ三色であったことも、王妃の心を掴んだ理由のひとつといわれています。エスポージトはこのピッツァを「ピッツァ・マルゲリータ(Pizza Margherita)」と名付け、以降このピザはナポリの、そしてやがては世界中のピザの代名詞として広まっていきました。

この出来事の「証拠」として長らく引用されてきたのが、カポディモンテ宮殿からエスポージトに宛てられたとされる1889年6月11日付けの礼状です。王室の侍従が「王妃陛下はたいへん満足されました」という趣旨を伝えたとされるこの手紙は、マルゲリータ誕生の象徴的な記録として知られています。

ピザ・マルゲリータの由来に関する最新の歴史研究

この美しい逸話には、長年にわたって懐疑的な視線も注がれてきました。2022年にはナショナル ジオグラフィックや日本経済新聞などのメディアが「王妃の好物説」の信憑性に疑問を呈する研究を紹介し、大きな注目を集めました。

歴史家や食文化研究者たちが指摘する疑問点は複数あります。まず、「トマトソース+モッツァレラ+バジル」という組み合わせのピッツァは、1889年のエスポージトの件以前からナポリに存在していたという点です。1866年の料理書をはじめとする複数の文献には、この組み合わせに似た記述がすでに登場しており、エスポージトがこのピッツァを「発明」したわけではないことが示されています。

さらに、「マルゲリータ」という名前自体も王妃の訪問以前からピッツァの名称として存在していた可能性が指摘されています。「マルゲリータ」はイタリア語でデイジーの花(ひなぎく)を意味する言葉でもあり、ピッツァの具材の配置がデイジーの花びらを思わせることからその名が付いていたという説もあります。

礼状の真偽についても疑問が提起されています。現存する手紙が本当に1889年のものであるかどうかについて、筆跡や紙質、インクの成分から検証した研究者は、後世に作られた可能性を否定できないと指摘しています。

ただし、「エスポージトが王妃にピッツァを献上した」という出来事そのものが完全に否定されたわけではありません。1889年6月11日にマルゲリータ王妃がナポリにいたことは確かな事実であり、ブランディという店がその当時実在していたことも確認されています。現時点での研究者の一般的な見解は、「エスポージトが王妃にピッツァを作ったこと自体は事実かもしれないが、この一件が『マルゲリータ』という名前の起源であるという説は誇張または後付けである可能性が高い」というものです。

真実がどこにあるにせよ、この逸話が19世紀後半のイタリア社会で大衆の心を掴み、ピッツァを「国民食」として定着させる物語として機能したことは確かです。

マルゲリータを構成する三つの食材とナポリの薪窯の秘密

ピッツァ・マルゲリータの魅力は、そのシンプルさの中に凝縮されています。本格的なマルゲリータに必要な材料は基本的にトマトソース、モッツァレラチーズ、バジルの三つだけですが、この三つの食材それぞれにイタリアの食文化の深さが表れています。

トマトソースに使われるのは、カンパニア州で栽培されるサン・マルツァーノ種がもっとも高品質とされています。細長い形と薄い果皮、少ない種、そして豊かな酸味と甘みのバランスが特徴で、高温で短時間焼かれるナポリピッツァの生地との相性が抜群です。加工しすぎず、フレッシュさを保ちながらソースにするのが伝統的な方法です。

モッツァレラチーズは、カンパニア州やラツィオ州産の水牛のモッツァレラ(モッツァレッラ・ディ・ブッファラ)が本場では使われます。水牛のモッツァレラは牛乳のものより水分が多く、よりクリーミーで風味が豊かです。焼くと適度に溶けてとろけた層を作り出し、トマトソースと美しく絡み合います。

バジルは南イタリアで特に愛されるハーブで、新鮮な葉を焼き上がり直前あるいは直後にのせることで香りを最大限に引き出します。青臭さがなく甘い香りが特徴のジェノヴェーゼ種(イタリアンバジル)が一般的に使われています。

そしてこれら三つの食材を支える「第四の主役」が、ピッツァ生地と薪窯です。ナポリの伝統的なピッツァ生地は、「00粉」と呼ばれる超細引きの小麦粉、水、塩、天然酵母またはイーストのみで作られ、長時間かけて低温発酵させることで独特の風味と弾力が生まれます。薪窯の温度は450度前後に達し、ピッツァはわずか60秒から90秒という短時間で焼き上がります。この高温短時間の焼成が、縁の部分(コルニチョーネ)に美しい焦げ目を生み出し、外はパリッと内はもちもちした食感を実現するのです。

ナポリピッツァのユネスコ無形文化遺産登録までの歴史

ピッツァ・マルゲリータの伝統を支えるナポリピッツァの職人技は、2017年12月7日にユネスコの無形文化遺産に登録されました。正式名称は「ナポリのピッツァイオーロの技」(L’arte del pizzaiuolo napoletano)です。

この登録は韓国・済州島で開催されたユネスコ無形文化遺産委員会で決定されました。審査においてユネスコは、「ピッツァ職人の技術は身振り・手振り、ナポリ民謡、物語、方言、生地の扱い方など多岐にわたり、疑いなく人類の文化遺産である」と評価しています。

この登録の実現には長い道のりがありました。ナポリのピッツァをユネスコ無形文化遺産にという声が初めて挙がったのは2009年のことで、職人組合が展開した署名活動では200万人分もの署名が集まりました。8年がかりの悲願が実を結んだこの登録は、イタリア全土で盛大に祝われました。

ユネスコが評価したのは単なる「料理のレシピ」ではありません。ピッツァ職人が生地を空中に投げて回転させながら伸ばす技、薪窯の火を読む感覚、素材の選び方と組み合わせ、そしてピッツェリアに集う人々の交流や文化まで含めた「生きた伝統」全体が認められたのです。この登録により、ナポリのピッツァは単なる食べ物を超え、人類が守り伝えるべき文化遺産として公式に位置付けられました。

ピザ・マルゲリータが世界中に広まった歴史と日本への伝来

ピッツァ・マルゲリータが世界的に普及した背景には、19世紀末から20世紀初頭にかけての大規模なイタリア移民の波がありました。南イタリアのナポリやカンパニア州から多くの人々がアメリカへ渡り、ニューヨーク、ボストン、シカゴなどの都市にイタリア人コミュニティを形成しました。

移民たちは渡航先でもピッツェリアを開き、ナポリの味を再現しようとしました。アメリカ最古のピザ店とされるのは、1905年にニューヨークで開業した「ロンバルディーズ(Lombardi’s)」で、ナポリ出身のジェナロ・ロンバルディが創業した店です。アメリカのピザはやがてニューヨークスタイルの大きく薄い生地やシカゴスタイルの深皿で厚い生地など独自の進化を遂げましたが、その原点にはマルゲリータをはじめとするナポリピッツァがあります。

第二次世界大戦後には、ヨーロッパに駐留していたアメリカ兵がピザの味を覚え、帰国後もその味を求めたことでアメリカ国内でのピザ需要が一気に拡大しました。1960年代から70年代にはピザの宅配サービスが誕生し、ドミノ・ピザやピザハットなどのチェーン店が世界規模で展開されるようになり、ピザは「世界食」としての地位を確立していきました。

日本には1954年(昭和29年)頃に初めてピザが伝わったとされており、東京の外国人向けレストランで提供されたのが始まりといわれています。日本で本格的に一般に普及したのは1980年代のことで、宅配ピザチェーンの進出やイタリア料理ブームが大きな後押しとなりました。現在では日本のピザ市場は世界有数の規模を持ち、マルゲリータは日本人にとっても最もポピュラーなピザの種類のひとつとして親しまれています。

「本物のマルゲリータ」を守るナポリピッツァ職人組合の取り組み

ピッツァ・マルゲリータをはじめとするナポリピッツァの「本物」を守るため、イタリアでは厳格な基準が設けられています。その中心的な役割を担っているのが、1984年にナポリで設立された「ナポリピッツァ職人組合(Associazione Verace Pizza Napoletana=AVPN)」です。

AVPNはナポリピッツァの定義と製法を規定した厳格な基準を定めています。ピッツァ・マルゲリータについての主な要件を以下の表にまとめました。

項目基準
生地の材料強力粉(00粉または0粉)、水、塩、天然酵母またはビール酵母のみ
発酵時間最低8時間、適切な温度管理のもとで実施
生地の成形機械を使わず手作業のみ(手でパンチしてから手のひらで伸ばす技法)
トマトサン・マルツァーノ種またはナポリ産を使用
チーズカンパニア州産モッツァレッラ・ディ・ブッファラまたはSTG認定フィオル・ディ・ラッテ
焼成条件薪窯で430〜480度、60〜90秒以内
完成サイズ直径約35センチ以下、コルニチョーネの高さ1〜2センチ、中央の厚み0.4センチ以下

これらの基準を満たした店のみが、AVPNから「認定ナポリピッツェリア」として公式に認定されます。グローバル化と均質化が進む現代において、地域固有の食文化と職人技を守るこのような取り組みは非常に重要な意義を持っています。「本物のマルゲリータ」という概念は、品質保証であると同時に、ナポリとイタリアの食文化への誇りの表明でもあるのです。

ナポリピッツァの二大定番――マルゲリータとマリナーラの違い

ナポリピッツァの世界では、AVPNの基準においてピッツァの種類は大きく「マルゲリータ」と「マリナーラ」の二種類に分類されています。この二つはナポリピッツァの双璧ともいえる存在です。

マリナーラはマルゲリータよりも歴史が古く、18世紀にはすでにナポリに存在していたとされています。「マリナーラ」という名前は「船乗りの」または「漁師の」を意味する言葉に由来し、漁師たちが長い航海から帰った際に食べたこと、あるいは漁師の妻たちが夫のために作ったことが名前の起源とされています。両者の違いを表にまとめると、その特徴が明確になります。

項目マルゲリータマリナーラ
主な材料トマトソース、モッツァレラチーズ、バジルトマトソース、ニンニク、オリーブオイル、オレガノ
チーズありなし
歴史1889年に命名(諸説あり)18世紀にはすでに存在
名前の由来マルゲリータ王妃(諸説あり)船乗り・漁師
特徴イタリア国旗の三色チーズ不使用で保存性が高い

マリナーラはチーズを使わないため腐りにくく、長期保存に向いており、航海中の船上でも作ることができました。そのシンプルさはマルゲリータよりもさらに際立っており、素材の質と生地の焼き具合だけで味が決まる、職人の実力が問われるピッツァです。

イタリアにはナポリピッツァ以外にも多彩なスタイルのピッツァが存在しています。ローマスタイルのピッツァは生地が薄くパリッとしており、ナポリスタイルとは対照的な食感です。シチリア発祥のスフィンチョーネは厚い生地にトマトソースと玉ねぎをたっぷり使う郷土ピッツァとして知られています。現代ではトリュフや生ハムをのせた高級ピッツァから、各地の特産品を活かした創作ピッツァまで、イタリアのピッツァの多様性は無限に広がっています。

ピッツァイオーロという職人文化の歴史と技術

ナポリのピッツァ職人「ピッツァイオーロ(pizzaiolo)」は、単なる料理人ではなく、ひとつの文化の担い手です。その技術は親から子へ、師匠から弟子へと伝承され、何世代にもわたってナポリの街に息づいてきました。

ピッツァイオーロの修行は厳しく、生地の作り方から始まり、発酵の見極め、成形の技術、薪窯の管理まで、すべてを習得するには数年から十年単位の経験が必要とされています。特に生地の成形では機械を一切使わず、すべて手作業で行われます。生地を手のひらで叩きながら伸ばす「スラップ」技法や、空中に投げ上げて回転させながら伸ばす「スピン」技法は、ピッツァイオーロの熟練度を示す象徴的な動作です。

「スピン」と呼ばれる生地の空中回転は、単なるパフォーマンスではありません。生地を回転させることで均等に伸ばしながら空気を含ませ、軽くて弾力のある生地を作るための理にかなった技法です。この動作を美しくこなすには、生地の状態を手の感触で把握する繊細な感覚と、長年の訓練で培われた筋力と精度が求められます。

ナポリのピッツェリアでは、ピッツァイオーロは店の中心的な存在です。開かれた厨房の前に立ち、熱い薪窯に向かいながら次々とピッツァを焼き上げるその姿は、ナポリの街の風物詩そのものとなっています。ユネスコの無形文化遺産登録において評価されたのも、まさにこの「生きた文化」としてのピッツァイオーロの存在でした。単なる調理技術にとどまらず、ナポリの街、人々の交流、歌や物語、方言まで含んだ総合的な文化遺産として認められたことは、ナポリの人々にとって大きな誇りとなっています。

ピザ・マルゲリータが象徴するイタリアの歴史と文化

ピッツァ・マルゲリータがこれほどまでに世界中で愛され続けている理由は、その味わいだけにとどまりません。

まず、そのシンプルさが大きな魅力です。三種類の食材だけで構成されるマルゲリータは、それぞれの素材の品質が如実に表れます。誤魔化しが利かないシンプルなピザだからこそ、作り手の技術と素材への敬意が問われるのです。「本物のマルゲリータ」を求めて世界中のグルメがナポリを訪れるのは、このシンプルさゆえの奥深さがあるからです。

次に、物語の力があります。「王妃が愛したピザ」という逸話は、たとえその真偽に議論があるとしても、人々の心を掴む強い力を持っています。食べ物に歴史や物語が加わることで、人々は単なる「食事」を超えた体験を得ることができます。マルゲリータを食べることは、19世紀のナポリに思いを馳せることであり、イタリアの歴史と文化に触れる体験でもあるのです。

そして、その普遍性も見逃せません。酸味のあるトマト、コクのあるチーズ、香り高いハーブ、香ばしく焼かれた生地という組み合わせは、特定の文化や好みを超えて多くの人が「おいしい」と感じる普遍的な味覚に訴えかけます。マルゲリータが世界食となったのは、この味の普遍性あってこそです。

さらに、緑・白・赤というイタリア国旗の色を持つマルゲリータは、イタリアそのものの象徴でもあります。1861年のイタリア統一から間もない時期に生まれたこのピッツァは、新生イタリアの国民統合の物語と重なります。王妃マルゲリータが庶民の食べ物であるピッツァを食べ、それを愛したという逸話は、王室と庶民の絆、そして統一国家としてのイタリアへの誇りを象徴するものとして受け取られました。

古代の平焼きパンから始まり、大航海時代にトマトがヨーロッパに渡り、ナポリの庶民の台所で育まれ、職人の技によって昇華されてきたピッツァ・マルゲリータ。その長い歴史にイタリア統一の激動を生きた王妃の物語が重なり、世界中で愛される一枚が誕生しました。2017年にユネスコ無形文化遺産に登録されたナポリピッツァの職人技は、今も世界中のピッツェリアで次の世代へと受け継がれています。一枚のシンプルなピッツァの中に数百年の歴史と人々の情熱が詰まっていること、それこそがピッツァ・マルゲリータの真の魅力です。

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